シンデレラガールズ9周年生放送の雑記

シンデレラガールズ9周年。それに伴い、生放送が放送された。普段は(基本的に担当に関係がないこともあって)この手の放送は見ないのだが、今回は何となく全部見てしまったので思ったことを書いていく。

 

見れば誰しもが思うことかもしれないが、シンデレラガールズというコンテンツは所謂”新アイドル”への世代交代を推進し、”新アイドル”にこれから数年をかけているんだな、ということを強烈に打ち出した放送だった。途中の茶番企画や山形まで行った気合の入ったロケ、歌唱曲がおねシンとBrandnewだけだったこと。今までこのコンテンツを支えていたニュージェネ達はサポートに回り、まるで壮大な新人歓迎会のようであったこと。そしてシンデレラマスターの新弾発表。選出された3人全てが”新アイドル”だったこと。賛否両論あったと思う”新アイドル”だったが、周年放送という場でここまでされると、もはや一つの事実として受け入れるしかないだろう。コーラの飲めばゲップが出てくるぐらいの事実として、だ。

 

では、今までのアイドル達は?特に、自分の担当もそうである、ボイスがないことでイベントへの参加権等が限られ、厳しい状況にいると言わざるを得ないアイドル達は?切り捨てもされず、ただ一年に一回あるかどうかわからない出番を待つだけのアイドル達はどうするのか。運営としても周年放送にその娘達を出さないのはマズいと思ったのだろうか、全員登場のPVを最初に公開し、最後のおねシンで背景の映像に全員のデレステモデルを出してくれた。それ自体は感謝している。しかし、こうも思うのだ。”ここで出したのだから、いいだろう?”というメッセージではないかと。生放送の最初と最後に配置した、というのがまたそういう意図を感じさせるのだ。

 

さて、事実として受け入れる、とは前述したが、それだと嫌々受け入れたみたいだから補足しておく。発表当時はともかく、もう個人的には”新アイドル”達に負の感情はない。これからのシンデレラガールズを担っていく存在として、頑張って欲しいと思う。自分の担当の境遇とは全く別の次元に行ってしまったし、彼女達の担当プロデューサーとはもう見ている世界も違うだろう。状況が全く違うアイドルが同じコンテンツにいる世界で、そこで感情を波立てていては、身が持たない。ボイスがないアイドルがボイスを得た瞬間、その担当と未だにボイスがないアイドルの担当では、もう見える,見ている世界が違う。そんな場所だから。

自分は”新アイドル”を遠目に眺めながら、ただ担当アイドルに良いことがあるのを願うしかないのだ。シンデレラガールズに関わり始めた時から、結局することは何も変わらない。今日の生放送のおねシンで、背景に全員分のデレステモデルが登場した時、シンデレラガールズに積極的に関わろうと思い始めた切っ掛けを思い出した。4thライブ神戸の時だ。同じように背景に映る彼女を見て、背景だけではなく、いつか声優さんがステージに立ち、彼女の歌を歌うのを見てみたい。そのために自分の力でできることはないか、そう思ったのだ。もう、その時のような激情は残ってないし、それが夢物語になりつつあるのも理解している。

その時から、随分と時が流れた。4年だ。生放送で大橋彩香さんが9年間とは義務教育の期間、とその時間の長さのわかりやすい例を示してくれていたが、そのうちの4年、小学生だった子が、高校生になっている。それだけの時間が流れた。ただ、その歳月の中で、自分の担当アイドルは常に輝きを見せてくれた。そんな彼女を捨てて離れることは、結局できなかった。だから無様に、未練たらしく、まだ関わっている。

 

そんな最低な私の担当の、最高のアイドル、メアリー・コクラン。ありがとう、大好きだ。そして、君がいる世界の9周年、おめでとう。