Hearts of Iron4 ソビエト連邦AAR ・・・みたいなもの
今回はパラドックスインタラクティブが発売しているHearts of Iron4というゲームのAAR(After Action Report)をお送り致します。
○Hearts of Ironとは?
パラドックスインタラクティブが発売している第二次世界大戦をテーマとする歴史シミュレーションゲーム。当時存在していた国家のほとんどをプレイヤーの国として選択でき、どう導いていくかもプレイヤー次第。世界情勢に影響を与えるレベルの歴史改変は大国にしかできませんが、小国でも史実ではあえなく滅んだ国を生き残らせる・・・のようなプレイも可能。
今回私が選んだ国はソ連。共産主義勢力の盟主であり、アメリカと並ぶ超大国の一つ。・・・ではあるものの、ドイツと日本等の潜在的敵国に挟まれ、広大な領土の管理を求められる上に、ヨシフ・スターリンの大粛清という避けえない大ダメージイベントが控えている、シリーズ通して超大国ながら初心者にはオススメできない国家でもあります。
まあ、前説はこんなものにして、AARに移りましょう。
第1章 アメリカ制圧戦争
1936年1月。世界恐慌から始まった世界の混乱は、ドイツの再軍備宣言、イタリアのエチオピア侵攻、日本の軍拡、それを阻止できない疲弊した前大戦の勝者達などにより混迷を深めていた。ここソ連でもスターリンによる大粛清が目前との囁かれ、トロツキストとの政治対立がソ連を内側から動揺させていた。
しかし、目前と囁かれた大粛清の代わりに行われたのはスターリンのアメリカへの戦争工作であった。ソ連は日々アメリカを批判し、批難し、我々の敵であると訴えた。「資本主義勢力との戦い」を声高に訴えたのだ。ソ連軍全軍も極東に移動し、スターリンがアメリカとの戦争を始めようとしているのは明らかであったが、超大国の激突はないだろうと人々が考えていたのも事実であった。
そして。1936年6月21日。ソ連、対米宣戦。
ベーリング海を渡り、アラスカを制圧したソ連軍は米海軍の初動の遅れをついて圧倒的劣勢な海軍力にも関わらず、西海岸の制海権を一時的に確保すると、アメリカ本土に全軍が上陸。突然の開戦で慌てふためく米陸軍を蹴散らし、包囲し、殲滅していった。
首都ワシントンとニューヨークと本土の大半を制圧されたアメリカは降伏。1937年6月27日のことであった。世界を驚愕させた超大国の激突は、一年で終結したのであった。
第2章 大粛清
アメリカを制圧し、莫大な工業力と人的資源を手にいれたソ連であったが、スターリンの猜疑心は限界に達していた。対米戦の勝利により湧き上がる軍部、対米戦の中も続けられたトロツキストとの政治闘争によりである。
対米戦の終結を確認したスターリンはついに大粛清の開始を宣言。粛正が粛正を呼び、嵐がソ連を駆け抜けた。
スターリンの粛正により、トロツキストは壊滅。それどころか、スターリンの一派にも処刑が相次いだ。軍部の粛正による影響はすさまじく、人材が枯渇し、指揮統制はままならず、対米戦に勝利した時のソ連軍はどこにも存在しなかった。アメリカ制圧により、動揺していた世界各国も、このソ連の「自爆」により、ひとまずの安心を得たのでった。
第3章 欧州の戦争とソ連の再動
ソ連が大粛清からの再建に注力している間に、ヒトラー率いるナチスドイツによるラインラント進駐、オーストリア併合が行われた。ヒトラーが次に目を付けたチェコスロヴァキアは英仏に助けを求め、英仏は独立を保障。ヒトラーが手を引き、ドイツの領土拡大はここまでかと思われた、1939年4月。ドイツはポーランドに宣戦布告。これを見た英仏はついにドイツに宣戦布告。再び欧州で大戦が勃発した。
それから4ヶ月後の8月。「資本主義勢力との戦いの再開」を宣言したソ連はポーランドに宣戦布告。同時に英仏との戦争にも突入した。ドイツ国境で戦闘していたポーランド軍主力の背後をつくようにソ連軍はポーランドに進撃。ワルシャワを陥落させ、ポーランドは降伏した。2ヶ月間の出来事であった。
1939年10月から2月までの4ヶ月は、ドイツがフランスを破り、枢軸国入りしたイタリアがユーゴスラビアを制圧したものの、ソ連軍は英仏と一切の戦闘がなく、「まやかし」のような戦争を行っていた。しかしそれは、ソ連軍が完全回復するまでの時間でしかなかったのである。粛正後、軍の再興に尽力した将軍、それを全面的に後押ししたスターリンの政治も相まって、ソ連軍は新生。これを見たスターリンは強化されたソ連海軍をもって英国本土上陸作戦を発動した。イギリス北部の制海権を奪取したソ連軍はイギリス北部に強襲上陸をかけ、イタリア攻略に戦力を割いていてがら空きの本土を南下。全土の制圧に成功、イギリスは降伏した。1940年4月のことであった。
これにより英仏は降伏し、連合国は壊滅したものの、フランスはアフリカで抵抗を続け、枢軸国はアフリカに戦力を傾けるようになる。イギリス政府はイギリス領インドに避難、イギリス領インドが連合国の盟主となる。そしてソ連軍以外がいなくなった欧州をスターリンが見逃すはずはなかった。
第4章 世界大戦へ
1940年4月のイギリス降伏から1ヶ月。5月3日にソ連はドイツに宣戦布告をし、枢軸国との戦争に突入した。ドイツ東側国境とルーマニア国境から320師団、西側からはイギリス本土を拠点として70師団が東西からドイツに流れ込んだ。
ソ連軍の圧倒的な兵力を前に、ルーマニアは10日で降伏した。しかしドイツ国内やユーゴスラビアでの戦闘はドイツ、イタリアの兵力展開が早く、一進一退の攻防を繰り広げる。一か月の戦闘の後、ベルリンは陥落。ヒトラー率いるドイツ政府はミュンヘンへと逃れた。
政府がミュンヘンに移ったことにより、ドイツ南部に防衛戦力が回され、連合国軍入りして敗北したチェコの領土や、元オーストリアでの戦闘は激しさを極めたが、ベルリン陥落後のドイツ北部はソ連軍に蹂躙された。
一方、極東でも日本との戦闘が始まっていた。ソ連の対独宣戦布告を見た日本が枢軸国に参入したのだ。しかし日本は1938年から始まっていた中国との戦争を有利に進めていたものの、戦線が伸び切り、ソ連との国境はがら空きに近かった。ソ連極東方面軍3個軍、72師団は2個軍が満州を攻め、1個軍は日本本土上陸を担当した。ウラジオストクで工場をフル稼働させて作られていたソ連海軍潜水艦150隻が日本海の制海権を奪取。ソ連軍は日本本土に上陸。本土防衛部隊を撃破し、本土を制圧した。
これにより日本は降伏。中国国内に残された日本軍は本土を失いながらの中国軍、ソ連軍との絶望的な戦いを強いられることになる。
欧州でも戦いも決着が迫っていた。
元フランス領に少ない兵力しか配置できない枢軸国はパリの陥落を許し、
ドイツ北部ではルール工業地帯を制圧、南部ではプラハ、ウィーン間の防衛線をついに突破したソ連軍はミュンヘンを制圧。ヒトラーは自殺し、1940年7月、ドイツは降伏した。
残すはイタリアのみとなったが、降伏した枢軸国の残党が全てイタリア本土に流れ込んだため、抵抗は激しいものとなった。何とかユーゴスラビアを突破し、ヴェネツィアまで至るもそこで攻勢は停止してしまう。1ヶ月の膠着の後、ソ連軍アドリア海の制海権を奪取し、ユーゴスラビアからイタリア本土への強襲上陸を敢行。見事成功し、前線の後ろをついたソ連軍はローマを陥落させ、本土を蹂躙。イタリアもここに降伏する。
1940年9月16日。ついに枢軸国との戦争は終結した。4ヶ月の戦いではあったものの、ソ連軍のほぼ全力を傾けた激しい戦いであった。
和平条約は中国の張北にて結ばれた。
終章 世界革命
枢軸国の降伏により、ほぼ全ての大国を打倒したソ連をもはや止められるものはいなかった。バルト三国、北欧の併合、中東の制圧、そしてイギリス領インドの併合。イギリス政府ははオーストラリアまで逃れるものの、ソ連軍が追撃を緩めることはなかった。
連合軍も打倒し、ソ連軍は最後の大国の打倒に取り掛かる。中国である。
長大なソ連中国国境に300師団を超えるソ連軍が並び、中国を二分していた両国を蹂躙。戦いは3ヶ月で終結した。
中国の打倒を確認したスターリンは「世界革命の達成」を宣言。残る国々の反発はあるかもしれない。しかし、どの国であろうと、もはやソ連軍の敵ではないのである・・・。
世界革命が成された世界の姿。
~おわりに~
これまではスクショの2,3枚ごとにツイッターで投稿していましたが、あまりにも貯まり過ぎたため、こうした形で公開。結構長々と書いてはいますが、ドイツに苦戦したぐらいでアメリカ本土を制圧した時点で大勢は決していたようなものでした。
開始速攻アメリカ制圧は日本のお家芸(?)だと思っていましたが、試したところ初期のウラジオストクにいる貧弱潜水艦隊でも運が良ければ制海権を取ることができ、初期の手持ち陸軍全軍を投入すればアメリカ降伏もいけました。ただし大粛清はそれからになりますが、軍の再建に力を入れればドイツが暴れるまでには間に合うはずです。
さて、こんな拙いAAR・・・ぽいものを読んでいただき、ありがとうございました。
次はイタリアあたりでやろうかなあ・・・。