「クルリウタ」ドラマCD考察

その予想以上の凄惨な内容と、救いのない結末で話題となっているTC第3弾「クルリウタ」のドラマCDを聴いたので、考察というか思ったことをつらつらと。ネタバレありなので聴いてない方はご注意を。

 

〇「クルリウタ」は誰視点の歌なのか?

僕は最初この歌は千鶴が演ずる女主人の視点で、美しい蝶の中でうごめく蜘蛛に苦しむ心情を唄った歌だと思っていました。それも全くの間違いないとは思いますが、ドラマCDで特大の重要人物になった女主人の娘の視点の歌なのではないかと。

 

〇「女主人の娘」

クルリウタのドラマCDは彼女を中心に動いていきます。そう、「女主人の娘」が誰であろうと最初から最後まで。

・女主人の娘は、女主人の言うことをきかねばならない。

・女主人の娘は、女主人に隠し事をしてはならない。

・守れない場合、「女主人の娘」は解任となり、メイドの志保に処理される。

・空席となった場合、遭難者等の人間がいれば一人が選出される。

これがこの役割のルールです。このドラマCDは伊織が処理され、茜と交代する一連の流れでした。

これを踏まえてクルリウタの一番の歌詞を見ると、自身に巣食う邪悪を嘆く歌ではなく、この世の道理から逸脱したとしても、処理されたくないために凶行を犯す心情を唄った歌になるのです。

 

〇ヨモツヘグリ

まず言ってしまうと、女主人はもうこの世のものではないですし、志保や伊織も同様で、孤島はそういうテクスチャを貼った「異界」です。

まず茜たちに出会った志保が『「人が」来るのは久々」と言います。本来、人が立ち寄るべき場所ではないところに人がいるということです。ただ、「人」、この世のものだと認識はしているわけです。志保はもうこの世のものではありませんが、狂気に侵されているとはいえば、半分は正気を保っているといえるでしょう。

さらに、見た感じよりかなり広い島であることが歌織先生との探索で明らかになっていますが、それもそのはず異界であるので、そういうテクスチャがあるだけで、実際は集落にたどり着けるかどうかも怪しいですし、ボートで外洋に出ることも不可能でしょう。本土からの定期便もそういうNPCがあるだけで、何も運んではこないし、連れて行ってくれることもありません。

「異界」にはルールが基本的に存在します。この世にこの世の法則があるように、異界という一つの世界にも法則があるのです。

一つ。この異界の絶対命令権は女主人にある。

一つ。その絶対命令権を行使と維持には「食事」が必要である。

一つ。女主人には強度の認識障害がかかっている。

最初のは異界の主が女主人なので、女主人の思いのままであるということ。

次は、その異界への取り込みの分水嶺が「食事」であるということ。おそらく、異界側に踏み込んだ(律子のような「見てしまった」も含まれる)者の血肉を使用するという付帯条件もあるということ。

最後は、女主人は、特に自分の娘には強度の認識障害がかかっているということ。だから「娘」が志保から茜に代わったとことで延々と同じことを繰り返すのです。

 

〇メイドの志保はどういう存在か?

彼女はおそらく女主人千鶴の「本当の娘」です。

この繰り返す「娘」のループの始まり、旦那と娘を失った女主人が狂気の果てに異界を作り、認識障害に陥った千鶴は志保を娘と認識できず、代わりに彼女を館で働く娘と認識し、「メイド」の役割を付与し、異界の一部としたのです。

志保が強い義務感を持って凶行を行っているのも、もし自分がメイドの役割さえ仕損じて処理されたら、後に残る千鶴という母親が残すだろうさらなる地獄を作らないため、娘としての最後の責任感として犠牲者を増やし続けている・・・もう一度言います、「クルリウタ」は「女主人の娘の歌」なのです。

 

〇オレンジのガーベラ

女主人の娘の伊織が訪れていた墓場。女主人にも秘密のこの場所にある無数の墓標。そこに添えられていた花は、「オレンジのガーベラ」の花言葉「我慢強さ」。

女主人の娘を強要された娘達の我慢強さの果てに散っていった者への手向け・・

なんてものではありません。ガーベラには別に薔薇のような「怖い花言葉」は全くないのです。「忍耐強く前に進んでいく我慢強さ」という意味。そこに眠るのが先代の娘にしろ、犠牲者にしろ、ちぐはぐな印象を受けます。

そう、伊織演じる女主人の娘はこの袋小路の状況にも関わらず、自分が我慢すればいつか報われる時が来ると信じているのです。客観的にみても、物語の登場人物の志保からしても、この異界に取り込まれた時点でどうしようもないことがわかるのに、です。

それは一輪の花のような希望なのか。

それは一輪の花のような孤独な狂気なのか。

それは一輪の花に感じる少しの安らぎなのか。

個人的にはこの墓地のシーンがクルリウタで最も重要なシーンだと思います。解釈も多々ありましょうが、自分は「哀れな狂気の残り香」のように感じました。

 

〇脱出は可能だったのか

プロローグとエピローグのラジオを聴いていると、伊織が囚われた時と茜がそうなった時では、かなりの時間が空いていることがわかります。この異界の時間は外界と比較して静止しているに等しいのでしょう。

電波の話が劇中に登場していますが、この異界、電波は通じているのです。おそらく送信は不可能で受信は可能という代物で、そもそも「電波塔」さえあるのかわかりません。

そのラジオでは伊織も茜達も「行方不明」とされていることがわかります。要するに死んでいる扱いです。

ここで仮定の話をしましょう。

電波が通じる→外界への接点がある、通り道がどこかにあるとして、

・「食事」を取らずにヨモツヘグリを回避する

・異界に深入りしない

を徹底して館から脱出、追っ手の志保も回避して外界への繋がりである「電波塔」に到達したとしましょう。そこで彼女達は何を見るのか?

ふたつ。

一つ、彼女達が外界でまだ生きている場合は脱出の扉。

一つ、彼女達が既に死んでいる場合は自分たちは既にこの世のものではないことを示す事実。

個人的には後者かと思います。つまり孤島に来た時点で彼女は既に死んでいて、

本来行くべきだった天国への道から、この世とあの世の境界線上に存在するこの孤島に「取り込まれた」。彼女達の魂はもうどこにも行けない。だから、墓もこの孤島にあるのです。

 

とまあ、こんな感じで考えをまとめていると、本当に救いのない話ですね・・・。

まあ、ホラーとしては割合ある救いのなさなのですが、アイマスのドラマCDでこれをやるのは確かに画期的(?)ではありました。

というか、サスペンスは?どこ行った?

個人的にはクローズドサークルの連続殺人だと思っていたので、ここまでホラーに捉えられるような方向に傾くとは思いませんでした。

 

では、最後に。このドラマCDに出演している島原エレナは太陽みたいな明るさ、茜に見せたような優しさでアイドルとして輝いている娘です。気になった方は是非彼女をプロデュースしてみてはいかかでしょうか。