キングオブモンスターズ ~アメリカ全力パンチの怪獣映画~

ゴジラ キングオブモンスターズ(以下KOM)、早速見てきました。その感想の記事となります。ネタバレです。未鑑賞の方は今すぐブラウザを閉じて映画館へGO。

 

 

 

 

さて、まずは。

最高。もう本当にこれ。

予告編での期待値を遥かに超える面白さでした。

GODZILLA」、「髑髏島の巨神」を経た今作で、ハリウッド版ゴジラ(というか、モンスターバース)は一つの到達点に達したと断言できます。

当たり前ですが、これはアメリカが作ったゴジラです。ここが重要なのです。良くも悪くもアメリカらしい怪獣への対応と家族ドラマを経た「GODZILLA」。第二次世界大戦からベトナム戦争へ至るアメリカと、その同盟国日本が過ごした戦争の時代の中で、その中で生まれる狂気とロマンを怪獣と上手く融合させた「髑髏島の巨神」。そして今作KOMに至り、ついに日本が生み出した怪獣ゴジラへのリスペクトと、米国が持つ世界観と呼ぶべきものが、怒涛のスケールで融合し・・・これは個人的な感想ですが、虚淵ゴジラ三部作で割合絶望的な気分になっていた日本人の僕の顔面を殴り飛ばしてきたのです。

最初のシーンは「GODZILLA」のサンフランシスコである家族を起こった悲劇・・・かと思いきや、同作であれ程勿体ぶっていたゴジラの咆哮をいきなり流し、ビルを破壊するゴジラが登場します。このシーンだけで「家族ドラマと怪獣映画の配分はこんな感じだからな?」というメッセージを感じさせます。

GODZILLA」でゴジラが暴れまわったので世界には巨大生物(タイタン)がいることを知った人類。タイタンですよ、タイタン。もう神様じゃないですか。世界各地に眠る巨大生物は確認されているものの(ちなみに富士山にも一匹いたりする)、その存在は隠ぺいされ、ゴジラも行方不明。人々は一部の人を除いて、「あんなものがいるのはわかっているのに、どこにいるかもいつ現れるかもわからない」という不安感が包む世界になっています。

そんな中、サンフランシスコで息子を失ったエマ博士が「オルカ」という周波数を分析して怪獣の行動をある程度自由にコントロールできる装置を開発します。オルカ、これはシャチの学名として有名ですが、元の意味は冥界という意味です。シャチはイルカの仲間なので、鳴き声で意思疎通をはかるので、そこから命名したのでしょうが、彼女の執念が生み出した機械の神ともいえましょう。そんな彼女は怪獣に息子を殺され、その意味を考えた結果、「怪獣は地球環境のバランスを司る使いであり、目覚めさせることによって、早々に人類によって破滅を迎える地球を救う」でした。要するに彼女は息子は神への贄となった、その犠牲を無駄に自分はしてはいけないと信じ込むことで自分を救おうとしたのですね。彼女にとって怪獣は使徒だったのです。途中までは。

そんな彼女の元夫、マークが息子の失ったことから逃避を選び、自分が作ったオルカのプロトタイプも破壊、ゴジラへの憎悪を抱えながら独り身で過ごしていたことを考えると、対極的な道を選んでいるわけですね。

残された娘のマディソンはその間で葛藤し、翻弄されるのですが、怪獣のコントロールに失敗し、息子を失った意味の探求と破滅願望を混在させている母親を見て、オルカを母親以上に上手く利用し、人が作った機械神の主となるのです。豪雨の中でギドラとゴジラのマッチメイクをした時に見せた壮絶な笑みはまさにその証拠、子供であろうが「人類という獣(モンスター)」でありうるのです。そんな彼女もオルカが破壊され、その力の失った後は家族で住んでいた家へ戻り、そこを破壊の余波が襲うと子供らしく絶叫する・・・。

さて、この一家が今作の主人公ですが、もう一人、語らねばならない人物がいます。芹沢博士です。

初代ゴジラにてゴジラと運命を共にしたあまりにも有名な人物の名前を持つ彼には、今作にて最高の出番が用意されています。僕はその流れのシーンは涙が止まりませんでした。隣の外国人を驚かせてしまったようですが。

そのシーンとは、もうおわかりですね。そう、ゴジラとの心中です。ギドラとゴジラを一網打尽にするために海上で戦い2匹に「オキシジェン・デストロイヤー」という米軍の新兵器が投入されます。同じ名前の強い爆弾、とかではなくマジで酸素破壊装置です。酸素に呼吸を依存する生物なら例外なく死にます。が、ゴジラを活動停止に追い込むも、ギドラには通用せず。逆にゴジラが活動停止したことにより「王」がギドラとなり、世界各地で怪獣が暴れだす事態に。活動停止により死んだと思われていたゴジラを発見した芹沢博士たちでしたが、パワー注入するための核兵器が作動せず誰かがゴジラをところまで行って手動で作動させることに。そこで芹沢博士が潜水艇に乗り込み、X星人の服にも見えるような、あの潜水服にも見えるような、絶妙なデザインの恰好をしてゴジラの元へ。というか、潜水艇というか完全に人間魚雷「桜花」でしたね。

ゴジラが眠る場所への階段を上る芹沢博士。放射線数値はとうに限界を超え、目はかすみ身体の動きは鈍る。まるでそれはゴルゴダの丘へ至る救世主のような、痛々しくも荘厳な画でした。「オキシジェン・デストロイヤー」によって発生した事態が芹沢博士をゴジラの元へ導き、神の受難を挟み、そして彼は”日本語”で”あのセリフ”を語り掛け、ゴジラに初めて触れながら光の中へ消えていくのです。「神よ、なぜ見捨てたもうたのですが」なんて言いません。ゴジラも骨にはなりません。人と神だった関係が、その瞬間だけ対等な、そう、「友」となったのです。このシーン考えた人、天才でしょ?

キリスト教世界観との素晴らしい融合。このシーンだけで、この映画はゴジラシリーズの中でもぶっちぎりで名を刻む名作であると、僕は言いたい。

そんな気合注入でゴリマッチョになったゴジラはギドラとの最終決戦へ。初戦と違い、優勢に戦いを進めていきます。ギドラといえば、「オキシジェン・デストロイヤー」が通用しない、つまりそれは酸素に依存しない生物・・・地球外生命体ということになるというのは、上手いと思いました。X星人要素ですね。

ゴジラが活動停止している間に、ギドラが拠点としていたワシントンDCでの人類の総力戦、それだけで映画作れそうなレベルでしたが、描写は少なかったですね。まあ、怪獣映画だから仕方ない。しかし、ホワイトハウス以上に連邦議事堂ってランドマークとして優秀な建物ですよね。首都にあるといい、東京タワーのアメリカ版というべきか。

さて、最終決戦なのでギドラも都市の電力を吸い上げて放出する最強技を放ち、ゴジラを追い詰めます。そこで予告編にも登場したバーニングゴジラがついに登場。芹沢博士の気合注入が凄すぎて暴走気味でメルトダウンしそうだったのが、少し前にエネルギーを吸われてていい感じになったようです。ついにバーニング熱線が!?と思ってたら、エネルギー放射の方でした。そっち!?いや、VSシリーズでよく使ったから嬉しいけど!

と、その圧倒的な力でギドラを倒したと思ったら世界各地の怪獣がゴジラを取り囲む。おっ、怪獣総進撃か?と思ったら、怪獣たちはゴジラにかしずく。

そう、「王の帰還」である。キングオブモンスターは、そこにいるのだ。

 

・・・とまあ、こんな感じです。シン・ゴジラ現代日本が生みだした「リアルなゴジラ」なら、この作品のゴジラゴジラが好きな人間がすべてのゴジラ作品にリスペクトしつつアメリカ人的な価値観を元に再構成・・・好き放題やった「ファンタジーゴジラ」といえましょう。

シン・ゴジラが怪獣映画としてどうかはともかく、作品としては東日本大震災を経た、リアルな災害を見てしまった日本に、必要な作品だったと思います。庵野監督のメンタル的にも。

アメリカはキリスト教価値観の国であり、同時に世界最高峰のエンターテイメントの国です。その宗教的な構図、面白いものを全力で作るマネーとパワーがある国。そんな場所でゴジラが大好きな人間たちが作った、超強烈なストレート全力パンチがこの作品です。

まあ、そういうことは抜きにして、怪獣映画で面白い作品に久々に出会えました。感謝を。