映画「来る」という小説「ぼぎわんが、来る」の””アナザー””

超久々のブログ更新となります。そのお題は先日公開されたホラー映画、「来る」。原作は第22回日本ホラー小説大賞で大賞を受賞した「ぼぎわんが、来る」。私は映画を見ると決めてから原作を読みましたが、大変面白い作品でした。そして気になったのが、私が原作に抱いたイメージと、トレーラーの映像の雰囲気の違い。ホラー映画の準主役ともいえるお化けの名前を敢えて外した映画版、これは成分は同じでも、全く違う毛色の作品になりそうだ・・・と覚悟して見に行きましたが、それはどうやら功を奏したようです。なので、個人的には映画を見る前に原作は読んだ方がいいです。

さて、各登場人物別に原作との違いを踏まえつつ感想を書いていきます。なので、原作と映画のネタバレを含みます。なのでそれが嫌な人はここまでで。

 

 

 

 

〇田原秀樹

原作では第1章の語り手。自己中心的なイクメンで、そこから生まれる家庭内の歪みが「ぼぎわん」を呼び寄せる。

映画では自己中心的で、周りの目線ばかり気にする、イクメンなのに妻と子供を顧みない傲岸不遜ぶりを、それを妻夫木聡さんが好演してくれています。

原作では秀樹の地元の化け物「ぼぎわん」と、彼の実家の因縁が恐怖の始まりだったのですが・・・そこはバッサリとカット。まず原作では重要な祖父の家での留守番の場面がだいぶカットされて、ただ「ぼぎわん」らしきものが襲ってくる、に留めてあります。その代わりに、行方不明となる少女との会話。「呼ばれてしもたら、逃げられへん絶対。だってアンタ・・・」とトレーラーでは伏せた場所には「嘘つきだから」が入ります。

そう、映画の彼は徹底的に嘘つきなのです。原作では真摯なところもあった(もしくは第1章が彼視点なので、そういう印象を植え付けられた)秀樹ですが、周りに対しても、妻に対しても嘘ばかりついてるクズのような男になっています。

おかげで彼が「ぼぎわん」との対決を決意するシーンが割合空虚なものになり、その後「ぼぎわん」の罠に引っかかって命を落とすシーンも哀れな被害者にしか見えません。

と、散々な彼ですが、後半の原作にはない、自分が死んだことにも気づかずに自宅のマンションに漂う彼の霊魂を除霊するシーンで、彼は死んだ自分に気付いて号泣しながら叫ぶのです。「知紗に、知紗にもう一度会いたい」と。彼は死んでから、やっと本当の自分を出せた・・・しかしもう遅過ぎた。彼はそのまま消滅します。

しかし、彼が最期に叫んだ知紗ですが、あんな存在では・・・。

〇田原香奈

原作では第2章の語り手。化け物に襲われるパニックホラー的な恐怖の前章から一転、彼女は人間的な怖さの担当となります。「ぼきわん」とは関係なく、母親という存在が陥る歪み故に。

そう、母親です。映画の彼女は母親という存在に徹底的に狂わされていくのです。原作でも彼女の家庭環境、ひいては母親が碌な存在ではないことは示されていますが、原作での言及は少ないです。しかし映画はそこをフィーチャーしています。

明らかに水商売ぽい、ド派手なメイクと服に身を包んだ香奈の母親ですが、いつまでも若い自分のつもりで、しかし加齢とともに現実と乖離し始めると、それを香奈の出産のせいだとなじる、ダメな母親になっています。ちなみに父親の存在は全く出てこないので、香奈が誰の子かもわからない、そんな男女関係だったのでしょう。香奈はそんな母親になるまい、と秀樹との結婚、そして出産、子育てに臨むのですが・・・彼女の想いもむなしく、彼女は自分の母親と同質の存在へとなっていきます。

まず、秀樹を見限るのは原作と同様なのですが、彼女は母親より女としての自分を優先させることがハッキリと描写されます。つまり、不倫です。まあ、原作でも映画でもハッキリと不倫してる秀樹という存在がいるので、それはいい(?)のですが、彼女は娘を顧みなくなります。そして彼女は娘を比嘉真琴に世話をさせ、かつての母親と同様に、ド派手なメイクと服をまとって、間男との情事にふけります。

原作では貞淑な妻ゆえに、”我慢したこと”が元凶となりますが、映画は反対に”我慢しないこと”が元凶となり、事態を悪化させます。

そして「ぼぎわん」の襲撃。原作どおり真琴が盾になっている間に、娘と逃走します。「どこでもいいから遠くへ」。そう言われるのも同じです。しかし、新幹線に乗った原作の彼女と違い、映画の彼女は最寄りの駅でどうすればいいかわからずに、なんと駅のレストランで娘に食事をさせます。要するに現実逃避です。

そんな現実逃避でも、食事をする娘を見て、彼女も娘を守るために覚悟を決めるのですが、そのタイムロスは決定的でした。知紗がトイレをせがんだので、駅のトイレへ。そこで二人で入った個室で、彼女は「ぼぎわん」に襲われ、死亡します。原作では生存した彼女が、あっけなく命を落としたのです。

彼女を襲った「ぼぎわん」が取った姿は、彼女の母親。

血だまりのトイレの床に倒れ、覆らなかった運命から解き放たれたことを喜んでるような、同時に覆らなかった運命に泣いてるような・・・そんな表情をした彼女は、原作の彼女の最期を知っていると、やるせない気持ちになります。

〇田原知紗

元凶。

原作では秀樹の実家が呼び起こした「ぼぎわん」を彼女が呼び寄せたことになってますが、映画では自分を顧みない両親の代わりに、遊び相手として「ぼぎわん」を呼び寄せたことになってます。つまり、知紗の単独犯になってます。

そして遊び相手を影響か、性格がかなり残酷なものになっています。いえ、子供特有の残酷さが「ぼぎわん」によって増幅されている、と言うべきか。

原作、映画共に「子供という存在」が重要なテーマの本作ですが、映画は子供の悪性を重点にしています。彼女は、その代表者の位置を与えられたのです。

〇野崎崑

原作と設定がかなり違っている人物。まず、彼の重要なファクターである無精子症の設定がなくなっています。妻との間に子供を作るものの、生みたいという妻に中絶を強要した過去がある、というのが彼の歪みになっています。

原作では生を作れない欠陥でしたが、映画は生を喜べない欠陥を抱えていて、より事態は深刻なことになっています。

子供への情はあるが、子供という存在に対する恐怖が強く存在する。そんな中途半端な彼がとった、中途半端な行動が、この映画のオチを呼び寄せるのです。

〇比嘉真琴

田原一家よりは原作との設定の相違はない人物です。子供が生めない身体なのも同じ。

原作ではそれ故に、人一倍他人の子供を愛し、守るために奮闘するのですが・・・。

映画では、田原香奈が放った「欲しいなら、あげるよ。知紗。」の一言が、彼女の中の黒い感情を励起させます。

終盤の除霊シーン。「ぼぎわん」に取り込まれた彼女が再び野崎の前に現れ、田原夫婦をどうしようもない奴等だと思っていたこと、そんな家に子供がいること、その幸せを忘れて赤の他人の自分のあげるなどと言い放ったことへの憤怒を表に出します。

そして「ぼぎわん」が生み出した、膨らんだ自分のお腹を野崎の子だと言い、それを野崎が否定すると、彼女は割れたガラスで腹を突き刺すのです。

生めない女と、生ませなかった男。二人にとっての悪夢が、再度繰り返されたのでした。

〇比嘉琴子

真琴の姉で、日本有数の霊媒師。原作では物語に幕を引くデウスエクスマキナ的な存在。映画でもその役割は健在。ですが、状況が全く違う映画では、幕の引き方は全く違います。

知紗が原作以上に「ぼぎわん」に近いため、「ぼぎわん」を除霊するために、知紗もあちらの世界へ返す判断をします。そのために、原作以上にドライな印象を受けます。

・・・ですが、彼女が原作では知紗を救う判断をしたのは状況判断の結果であり、状況が違えば、知紗もろとも「ぼぎわん」を除霊する判断をする・・・というのは、考えられない話ではないと思いました。つまり、彼女は他の登場人物とは違い、ブレが生じてないとも言えます。彼女のデウスエクスマキナ的な役割がそうさせたのだろうと、そう思います。

〇津田大吾

秀樹の親友の民俗学者。原作の唐草大悟に相当する人物。そして香奈の不倫相手です。

名前も違うし、民俗学者ぐらいしか共通点がない。

原作では香奈にモーションをかけるも、相手にされない冴えない男の印象でしたが・・・チャラ男です。大学教授かお前?てぐらいチャラいです。

秀樹の家庭を呪うのは同じなのですが、理由は原作では家庭を持つことを当たり前だと思う奴等、世間が許せないという、まあ感情は理解できるよ・・・というものから、秀樹なんてただのオモチャで、アイツが得たものを奪っていくのが楽しみだったというドクズな理由になっています。野崎との共通点も、家庭を持つことを当たり前とする存在に対する憎しみから、そのような生をあざ笑う存在としての共通点に変更になっています。

そんな彼は原作の唐草と違い、「ぼぎわん」によって殺されます。

〇逢坂セツ子

霊能力者。原作では琴子の紹介で秀樹と野崎と会うも、「ぼぎわん」の襲撃を受けて落命、それこそが「ぼぎわん」の罠の始まりだった・・・という、「ぼぎわん」の恐ろしさを際立たせる存在。

が、映画では最終的に「ぼぎわん」に敗北するも、琴子以上に終盤の重要な役割の担います。

原作同様に片手を失うものの、「ぼぎわん」との決戦前に再び参戦。さ迷ってた秀樹の魂を鎮め、野崎に””異形との戦いでは生死のはざまでさえ曖昧になる。そこで確かなものは「痛み」だけ””という言葉を残す。この言葉が、野崎の後の行動を決定づける。

 

さて、映画は原作より人の悪性、悪意を焦点に当てていることは、もうおわかりだと思います。特に子供の悪性・・・笑いながら虫を殺す子供のような、純粋ゆえの悪性。「年齢的に」子供である知紗が、「精神的に」子供である大人を破滅させていく物語。救いがなさすぎますが、そうとも取れるお話なのです。

大人のような・・・合理的な判断が取れる故に、知紗を犠牲にしようとした琴子に対して、野崎は「遊び相手が欲しかっただけだ、両親が振り向いてくれないから化け物とだって遊んでしまうんだ!」と泣き叫びながら、知紗を救おうとします。子供を犠牲にすることが正しいとは思えませんし、野崎が一回犯した過ちを考えれば、そういう「癇癪」を起こしても仕方がありません。それに対して琴子は「ならば・・・ちゃんと抱き留めていなさい」と、つまり最後まで責任を持てよと言い、野崎を「ぼぎわん」から引き離します。

そこまで段取りを滅茶苦茶にされても「ぼぎわん」に勝利したらしい琴子のブレなさは置いといて。

ラストシーン。眠る知紗を抱いた真琴と、野崎がベンチに座りながら、これからどうすればいいのかわからないまま、知紗の見てる夢を気にします。真琴が能力で知紗の頭の中をのぞくと・・・

彼女が考えているのは、亡くなった両親でも、守ってくれた野崎や真琴でも、遊び相手だった「ぼぎわん」でもなく。好物のオムライスのことでした。そして流れるオムライスの歌。夢特有の狂気じみたオムライスの世界をバックに、知紗が歌う映像が入ります。それを真琴が野崎に伝えると、彼はシニカルに笑って、「なんじゃそりゃ」とうそぶくのでした。

これで終わりです。「は?」と思われる方もいるかもしれません。でも、原作を読んで、映画を見て、このラストは本当に怖かった。ゾッとしたんです。ナンセンスでもない、アイロニカルでもない。本当に子供が見てそうな、夢。この映画が訴えてきた、子供という存在の悪性、不気味さが結実したラストでした。子供は守るべき存在だということは守ってきた原作に対して、最後で渾身のストレートをブチかます、そんな感じです。

これは原作無視の映画ではありません。監督は原作を読みこんだ上で、映像化にあたってこう「ぼぎわんが、来る」を表現するのだと、叩きつけた作品です。

「ぼぎわんが、」を取ったのも意味があるのです。この作品に出てくるのは「ぼぎわん」らしき”何か”です。この記事では便宜的に「ぼぎわん」で呼んでいますが、原作のように姿は明確に出てこないし、原作より容赦なく殺害を繰り返します。呼ばなければ、来ない。のではなく、「来る」んです。奴は、もう。

 

さて、長々と語ってしまいましたが、ここで筆を置くことにします。あ、最後に。

岡田准一さん、本当に良い演技しますね。

シンデレラ☆ステージ6STEP総括という名の自壊しかかったPのお話

3月11日(日)に開催されたシンデレラ☆ステージ6STEPに参加させていただきました。

拙作を手に取っていただいた方々、持っていった自作フィギュアを褒めていただいた方々、本当にありがとうございました。

さて、今回で同人誌即売会に参加するのも3回目となりました。アイドルマスター シンデレラガールズに登場するメアリー・コクランというアイドルの本があまりにも少ない・・・というか、ほとんどなかったのにショックを受け、ならば自分で作ろうと思ってから、1年と少し。即売会に参加するにあたっては、常に不安で、常に作品の生みの苦しみに悶え・・・そして、自分の力のなさという、現実に落胆していました。それでも、メアリー・コクランというアイドルのために、そして拙作を手に取っていただける方々のために、作品を3作品、お送りしました。そのシリーズも今作で完結です。

 

さて。

 

過去の即売会の総括は、当日かその翌日には書いていました。しかし、今回は一週間も間を空けてしまいました。何故かというと、今回の即売会が終わった直後は、総括を書ける精神状態ではなかったからです。それぐらい、今回の即売会は辛かった。

 「前回までと同様に、今回も楽しかった」と書いてしまうのは、簡単です。しかし、真剣に臨んで、熱意を込めて作ったものを出した場での総括で、嘘はつきたくありません。

今回の即売会で、端的に言えば、僕は自壊しかかりました。自分がいかに甘かったのか、そして驕っていたかを思い知ったのです。

まず甘さ。僕は絵が描けないので、文章だけの、挿絵の一つもない本を出しました。しかし即売会を重ねていくうちに、絵の練習ぐらいはした方がいいのではないか?その方が、メアリーコクランというアイドルを表現して、知ってもらう上で良いのではないか?という思いがどんどん膨らんでいきました。それでも、僕は、文章という表現に甘えていたのでしょう、絵の練習はしませんでした。即売会への参加も3回目となり、周りを見渡す余裕ができ、そして色々なグッズを見ました。文章主体でも、表紙は絵になっているものもありました・・・いえ、それが「普通」なんでしょう。夏コミにも、歌姫庭園にもあったはずの、それらが見えていなかった自分に失望し、そして3回目にしてまで何も工夫らしい工夫をしていない自分に絶望しました。

そして、驕り。「メアリーコクランというアイドルの本がないなら、自分が書いてやる」。そう思った、いつかの冬コミの想いは、本物だったのでしょう。ただ3回目の今回は、ただ「メアリーコクランというアイドルの本を出すこと」だけが、目的と化していたように感じます。彼女のために燃えていた炉の余熱で動いていた。端的に言えば、漫然となっていた。もちろん、シリーズ完結編ということで、頑張って作品を書きました。拙作を手に取っていただいた人に失礼のないように、そして僕が考える彼女の魅力が伝わるように。・・・それでも、「彼女の本を出す自分」にプライドみたいなものを持ってしまっていることを自覚してしまった時点で、その傲慢さに気付いてしまった時点で、とても、同人誌即売会にいる自分が恥ずかしくなったのです。

 

そんな甘さを驕りを痛感した自分が惨めで、情けなくて、卑しくて。メアリーコクランというキャラクターにも顔向けできなくて、一時は彼女から離れた方がいいのかな、と思いました。

そして1週間ぐらい考えてみて。それでも、彼女の隣に立っていたい自分が残っていました。それは燃えカスでも、灰でも、確かにそこに残っていたのです。

僕は恥ずかしながら、プロデューサーを続けることにしました。

 

・・・今回の記事は、僕の考え過ぎかもしれませんし、根っからのネガティブさが暴走した結果かもしれません。なので、何言ってるのかよくわからない文章かもしれません。それでも、こう思った自分がいたのだと。書き留めておくために、今回の記事を書きました。 

 

 

シンステの本の序盤公開

来たる3月11日(日)に行われるシンデレラ☆ステージ6STEPSに参加させていただきます。サークル配置はく-35となります。頒布価格は100円です。

またメアリーコクランの小説を書かせていただきました。「Next to her」と銘打って、駄文乱文を勢いのまま出してきましたが、今回がそのシリーズ完結編となります。といっても、前作を読まなくてはわからないような箇所はほとんどありませんが。

これまで作品を作るにあたって、一編を除いて全ての話をプロデューサー視点で固定してきましたが、今回は2つ、メアリーコクラン視点の話を入れました。

今回公開する序章は、そのメアリーコクラン視点のお話の一つです。

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いかがでしたでしょうか。僕のメアリーコクラン像と投射したものなので、皆様のメアリーコクラン像とはまた違ったものかもしれませんが、そこを含めて楽しんでいただければ幸いです。

では、会場でお会いできれば。

 

欠けていたものが埋まる大切さ

2月7日はアイマス界隈に2つの大きな動きがあった日であった(正確には、1つの方は8日0時00分であるが)。

 

一つ、スマートフォン向けブラウザゲームアイドルマスター シャイニーカラーズ」の発表。

 

一つ、「アイドルマスター ミリオンライブ(ミリシタ)」への田中琴葉の復帰である。

 

この大きなニュースに自分のツイッターのTLも大きく賑わっていた。自分も何かツイートしようと思ったが、この動きに複雑な感情を抱いてしまったため、140字のツイッターではなく、こうしてブログの記事を書くことにした。

 

まずは、田中琴葉復帰おめでとう。ミリシタがスタートしてから半年ほど。担当Pでも、そうでなくとも、この全員が揃う日を一日千秋の思いで待っていたのは想像に難くない。ミリシタから撤退してしまった自分でも、彼女がBrand New Theaterを歌う姿は、グッとくるものがあった。

 

さて、アイドルマスター シャイニーカラーズ(シャニマス)である。わかってはいたが、やはり登場アイドルにCVはつくことになった。

まあこのご時世、新規リリースのこういうゲームにCVがつかないなんてのはあり得ない。わかってはいた。わかってはいるのだ。それでも、どうして割り切れない感情があった。

何故、そのCVをアイドルマスター シンデレラガールズ(デレマス)のCVなしのアイドルに回してくれなかったのか?そちらからつけていくのが先ではないか?という思いである。

これがお門違いの考えなんてことはわかっている。それはデレマスの、特にCVなしのアイドル本位の考え方であるということを。新規シリーズがCVなしのアイドルがいる状態で発表してまで、デレマスの方に声を回せ、いやそもそも新規シリーズ発表前にデレマスのCVなしのアイドル全員に声をつけろ。そんなことを言っても仕方がない。現実的にそれらは無理なのだ。

だからといって、自分のアイドルが歌も歌えない中、後輩タイトルのアイドル達が普通にCVを貰っているのをみると、そういう感情が沸いてしまうことまでは否定はしたくない。人間、それが言っても仕方なくても、現実的には何の意味もない叫びでも、叫ぶこと、思うこと自体が自然な、当たり前な感情や思いがあると思うのだ。

CVがなくても、プロデュースはできる。私だって好きになったのは、担当になろうと決めたアイドルは、CVがなくとも、それでも魅力的なアイドルだからだ。彼女のキャラクターに惚れ、そして隣に立って応援したいと思ったアイドルだからだ。

それでも、彼女の歌が、聴きたい。

そう思ってしまう。

もう散々語られていることだが、現在のデレマスの中心コンテンツである「スターライトステージ(デレステ)」は音ゲーであるため、CVのあるなしで活躍に大きな差がつけられている。それは露出度の差であり、既に知られているアイドルはさらに知られ、知られていないアイドルは「誰?」扱いされ、挙句の果てにはモブ扱いまで受ける。デレステ運営の方も、全員のSRまでの実装や、今年になって始まった新イベントで、CVなしの方にも力を入れているが、それでも開いてしまった差は大きい。その反面、シャニマスは全員がCVつきで同じスタートラインで出発する「安心感」がある(デレマスも最初は全員CVなし、同じスタートラインではあったが、その期間は歴史の中で極初期である)。

そしてこれはデレマスのいうコンテンツの欠点、欠けている部分である。この欠けた部分が埋まることをおそらくないだろうし、この欠けた部分を妥協しながら、最悪切り捨てながら、このコンテンツは続くことになる。満月になることはなく、欠けた月の上で生きるコンテンツ、それが僕が思うアイドルマスター シンデレラガールズである。

逆に、ミリシタは欠けていたものを埋める、満ちていく過程であった。お世辞にもうまいとはいえない初期の運営方法やイベント、そしてやむを得ぬ事情とはいえ、一人の欠員。しかし去年の冬あたりから、効果的なアプデを重ね、ユーザーへの還元をし、そしてついに、2月8日に彼女が戻ってきたのだ。それはまるで、新月が満月になるように。欠けていたものが現れ、満ちていく喜びを与えるように。それが、僕が思うアイドルマスターミリオンライブである。

欠けている、ということはよいことではない。しかし世の中に完璧なものはなく、何かしら欠けているものだ。それでも、欠けたものを埋めることはできる。

その時、欠けていたものが埋まる大切さに気付くのだ。

そう、思った、2月の初旬のお話。

 

<ここから被害妄想>

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さて、シャニマスの情報を見た時に、地味にショックを受けたのはこの子の情報を見た時である。

出身地、アメリカ。金髪ツインテ。ハーフかそうでないか、年齢の違いはあるが、私の担当に似通ったのが、いわゆる”信号機トリオ”という主役級で、もちろんCVつきで出てきたのである。

まあ、どちらかというと、彼女よりは彼女が姉に似ていると慕っている子に似てる気がするが、それはともかく純粋な外国人へのサプボはやはり難しいんだな・・・と思ってしまった。

これから「アメリカ出身のアイドル!」というと、私の担当ではなく、この子になっていくのかな・・・嫌だなぁ・・・。

おませなリトルガール:メアリー・コクランについて

2017年11月22日。この日のデレステのガチャ更新により、ついにメアリー・コクランに新カードが追加された。

 

約670日。それが待った期間である。

 

長かった。本当に、長かった。

さて、追加されたSRは[おませなリトルガール]。モバマスにおいての、メアリーの初めてのSRであり、彼女がどういうアイドルかよく表している良いカードである。このカードを採用した運営さんには感謝の念を禁じ得ない。

そして、同時にメモリアル4も追加された。ついに、デレステで彼女の初仕事が描かれたのである。それも素晴らしいものであった。詳しくは後述する。

まずは、[おませなリトルガール]について語らせてほしい。

①[おませなリトルガール]のいうタイトル

自分はこのタイトルがとても気に入っている。彼女の紹介する文章を考える時は、まずこのワードを念頭に置いているし、文中にも表現を変えて多用している。それぐらいに端的に彼女という人物を表す言葉なのだ。ここで注目して欲しいのは”リトル”という単語。メアリーぐらいの年齢の女性なら、ガールだけでもよいのに、リトルをつけている。

英単語littleには「小さい」そして「かわいらしい」という意味がある。我々プロデューサーから見れば背伸びして自分を大きく見せたい彼女も、おませで、小さい。しかし同時にとても可愛らしいのだ。”リトルガール”にはそういう想いが込められていると、自分は思っている。

②特訓前

 

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このイラストから注目して欲しいのは、ぬいぐるみのような”年齢相応の”買い物は後ろに、そして我々に見せているのは、”オトナっぽい”衣装だということ。

そしてそれは、我々、「ダーリン」のために買ったものである。

ヒールはサイズが大き過ぎたのかオトナになってから履くというセリフがモバマスの方で見受けられる。彼女は、せっかく来たイギリスの地で、ダーリンと買い物することを選び、そして自分のためではなく、ダーリンのための買い物をしたのだ。

しかし、似合ってる?とかオトナのレディだったら嬉しい?というセリフもあるところを見ると、自信満々にプロデューサーにアタックする彼女も、一抹の不安はあるようだ。そんなところも愛おしい。

”キュートなのもステキだし、セクシーなのも捨てがたいわネ

デレステで追加されたセリフである。まさに彼女の気持ち・・・

キュートな自分が魅力的なのを自覚しながら、それでも自分が目指したいセクシーさの間で揺れ動く。

を、表現しているといえる。

③特訓後

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 特訓後、イギリス国旗を振っている彼女であるが、デレステで「腕が痺れて、もう上がらなくらい」必死に頑張って振っていることが判明した。しかし、彼女はそれを顔には出さない。

彼女は、ダーリンからもらった”ハッピー”をファンに届けたい、その一心で旗を振る。そんな自分がつらさを出してはいけない。自分がしてもらって嬉しかったこと、その気持ちをファンにも共有して欲しい、伝えたい。そのために頑張れる彼女は、まさに”アイドル”なのだ。

モバマスの親愛度MAXのセリフで彼女はトップアイドルをプロデューサーと目指すことを改めて決意する。

そして、デレステの親愛度MAXのセリフでは、自分がスゴいスターになることを”誓う”、そして”信じて見てて”と言う。

目指すのではなく、誓う。彼女はより、こちらを見つめながら決意するのだ、トップアイドルになることを。腕が痺れるまで旗を振り、息を切らしている彼女にこう言われたら、こちらも腹をくくるしかあるまい。そうでなければ、我々は何のための存在か。

そう、旗を振るのだ。彼女は、ファンに対してだけではなく、我々プロデューサーにも、旗を振ったのだ。

降参の旗を振るのではない。奮起の旗だ。我々を導く旗だ。続け、進め、追いつけ。彼女の、担当であるならば。

④メモリアル4について

デレステの初仕事は食レポだった。メアリーはそのおませぶりが注目されやすいが、趣味の欄にはグルメツアーをはっきり書いてある。それを拾った素晴らしい設定だ。

メアリーは日本語を間違えながらも、そしてそれを笑われながらも真剣にこなす。期待されているのは、そういう”可愛い”ところだとはいえ、それは見ていて心苦しい光景。メアリーは休憩中に不満を漏らす。そんな彼女に言ったのは、

いつものメアリーらしく

だった。スターらしく振舞わなくてよいことに疑問を覚えるが、休憩後、メアリーは自然体でお汁粉の食レポをこなす。見たことない黒い液体。しかし、メアリーは

スターになるために、どんなことでもチャレンジすると果敢に食レポに挑む。

そんな少女の勇気と共に、流れる「お願いシンデレラ」のイントロ。

泣いた。冗談抜きで、泣いた。

ちなみにお汁粉なのは、ぷちデレラで小豆が好きだと言っていったので、その回収である。

そう、彼女がスターらしく振舞うことでスターになるのではなく、彼女が彼女であるだけで、既にスターなのだ。彼女は既にシンデレラで、プロデューサーは舞踏会の会場に連れてきただけ。あとは彼女が彼女らしく踊ってくれれば、それで問題はないのだ・・・

メアリーはいつもの自分らしくを、「今のアタシでもソー・セクシーってことネ!」と解釈したようだ。まあ、半分正解といえば正解なんだが・・・もう半分を指摘するのは野暮だし、彼女はそのうち気付くことができるだろう、と自分は信じている。

 

とまあ。メモリアル4、最高でした。是非皆にも読んでもらいたいメモリアルです。自自信をもってオススメできます。

⑤最後に

そんなメアリー・コクランのSRがピックアップしてるので、是非引いていただいて、彼女の可愛さ、デレステのモデルのすばらしさに気付いていただきたい。

この記事が、そのきっかけとなれば、それに勝る幸いはありません。

歌姫庭園14総括

僕が参加させていただいた歌姫庭園14が無事に終わりました。皆さま、お疲れ様でした。

今回もメアリー・コクランの小説を引っ提げて参加し、頒布できたのは、12冊でした。前回より少し増えました。Twitterのフォロワーさんもわざわざ来てくださいました。ありがとうございます。

全員がフォロワーさんではなかったのですが、何名かの方は、

「メアリーが気になっている」

とのお言葉と共に本を手を取っていただき、自分が同人誌即売会に参加した理由である「メアリー・コクランというアイドルをもっと知ってもらう」を少し果たせたような気がして、とても嬉しかったです。

自分が作っているメアリーのフィギュアを今回も置いてみましたが、色々な方に褒めていただき、作った甲斐があったのだと、とても嬉しかったです。

メアリー担当の方も、他のアイドルの担当の方とも、こういう場で会ったからこそできる話をしました。皆さま色々な想いを抱えて「アイドルマスター シンデレラガールズ」に関わっているのだと、その一端を感じることができて、とても嬉しかったです。

そう、とても嬉しかったのです。

前回の夏コミが嬉しいことがなかったわけではありません。ただ、初めての同人誌即売会のため、色々と学ぶことや、反省することもあったのです。

でも、今回は嬉しい、楽しいことだらけだった。まるで、夢のようでした。

前回重い身体と在庫を抱えて、夏コミの帰り道に「現実はこちら」の立て札を持った人がいる理由が、前回とは違う理由でわかったのです。それが、前回参加した時のと大きな違いでした。

 

さて、ある方に「無料頒布ではなく、やはり100円でもいただいた方がいいのではないか」という意見もいただきました。趣味でやっていることとはいえ、原価もかかっているのは事実・・・確かにそうです。

前の記事では「100円という敷居も撤廃する」といいましたが、実をいうと、今回も100円だけいただこうかと、ずっと悩んでいました。もちろん原価の問題もありますが、やはりお金をやり取りをすることによって、そこに「責任」を発生させるべきだとも思うのです。何も同人誌だけの話ではありませんが、お金のやり取りというのは、基本的に責任のやり取りです。同人誌であっても、読んでもらう以上は、相手の時間をいただいているのです。その責任を負う覚悟を示すために、お金をいただいた方がいいのではないか・・・とそうも思うのです。

今回は無料頒布としましたが、次に参加するなら、また100円だけいただこうかな、と考えています。そして、そのお金に見合うだけの作品を送り出す覚悟を持つつもりです。

 

Twitterではデレマスに関してネガティブな発言が多い僕です。メアリー・コクランというアイドルの現状は厳しいというのが事実です。担当としては、少しでも彼女の良さをわかってもらうために努力するつもりですが、僕の性格上、ネガになってしまうことも多々あります。正直、メアリーの担当になった自分が間違いなのではないか、と思うことさえあります。

でも。今回、実際に会ってメアリーが好きな人、気になってる人に会って、やっぱり彼女の担当でよかったと思い、そして彼女のアイドルとしての力はまだまだ発揮できると、そう思えました。

拙作のタイトル、「Next to her」は「彼女の隣」という意味です。

彼女の前に立って無理に手を引くこともなく、彼女の後ろに立って背中を押してやることもなく。

彼女を信じて、彼女と同じ位置「隣」で、彼女の担当を続けていこう。そう思いました。

 

最後に。拙作を手に取っていただいた方、フィギュアを褒めていただき、写真まで取っていただいた方、本当にありがとうございました。

本を出せてよかった、嬉しかった。

そう思わせてくれた、楽しいイベントでした。

 

歌姫庭園の本の序盤を公開します

この度、9月23日(土)に東京ビッグサイトにて開催される歌姫庭園14‐THE IDOL G@RDEN-に参加することにしました。

夏コミに本を出してからまだ日が間もないですが、今度はオンリーイベントというものに興味が湧いたので、応募しました。

今回の作品はモチベーションがあるとはいえ、夏コミの作品でメアリー・コクランというアイドルの要素をほとんど出し切ったつもりだったので、なかなか難産でした。ページ数も前回の半分ぐらいとなりました。

今作のタイトルは「Next to her 2」ですが、1を読む必要は極力ないようにしました。

そして今回は二本、作品を書きました。

・メアリーのアメリカの友達が日本に来る話

L.M.B.Gに参加する話

となります。この記事では、その二本の最初の部分をお見せしたいと思います。またPDFをキャプって張り付ける荒業なので、見にくかったらすいません。

頒布価格ですが、今回は既刊、新刊とも無料でいきます。

一人にでも多く、メアリー・コクランというアイドルがいることを知ってもらい、できれば担当ないし好きなアイドルになってもらって、彼女の未来に少しも貢献するのが、僕が本を出す理由です。それなら前回のように「100円」という敷居も撤廃した方がよいと判断したためです。

ではまず、アメリカの友達が来る話の序盤です。

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次は、L.M.B.Gの話の序盤です。

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以上です。どうでしたでしょうか。興味を持っていただいたなら、幸いであります。

よろしくお願いいたします。